mimiyori_mee

日々のこと

こどもの王様

てゅんはこどもの王様だ。

てゅんはゆかりの同期で、だから僕からすればせんぱいなのだけど、年が同じで、身長が僕の半分くらいしかなくて、アニメのどちらかというといじわるな脇役が大好きで、マリオのスニーカーを恥ずかしげもなく履いているのを見て、なかよくなってからはずっとこども扱いをしてきた。

そのてゅんが会社を辞めた。辞めると聞いてからも、最終日当日でさえも、てゅんがいなくなるということにぜんぜん実感が持てなかったのに、先週、てゅんとよくお昼を食べたベトナム料理屋でひとりでカレーを頼んだとき、向かいの席にいつも当然運ばれてくるはずのレタス蟹炒飯がいつまでも来なくて、僕はそのときになってやっと、とてもとてもさみしくなって、胸がつまった。

てゅんといっしょに働いたのは3年ほどだ。まだ配属されて間もなかった僕に、わからないことがあったら休みの日でも会社から連絡してこれるようにと携帯の連絡先を教えてくれた。極端に人数の少ない部署だったので、日々たくさんの理不尽が巻き起こり、てゅんは僕よりせんぱいだったから、矢面に立たされることも多く、こどもの王様には到底できないスーパーミラクル大人の役割を担わされた時期もあった。てゅんとは、佐倉の容赦ない口撃を互いに一切の防備を持たず、まともに喰らい続けてきた戦友の仲でもある。

最終日、いくつもの部署をまたいで、たくさんのお偉方に小さな背を折りたたみ、きちんと頭を下げるてゅんがいた。休みの人までが何人か会社に来て、てゅんを見送った。挨拶にまわるたびに送別の品を受けとって、その数の多さはてゅんの厚い人望のあらわれだった。
僕は送別の品に、フェルトで作られたわりとでかめの首から下げるねこのポシェットを贈った。ねこが大きらいなてゅんは(たとえねこが好きだったとしても)「ぜっったい使わないけど、ありがとう」と言って笑った。珈琲、AMラジオ、スヌーピー、北欧の食器、単線電車、研究所のパン、福岡の野球、てゅんの好きなものならいくつも思いつくけれど、もうこんなふうに毎日顔を合わせなくなるてゅんに、できることなら見るたびに僕のことを思い出してもらえる品がいいなと思って選んだ。それに、あのポシェットはこども用コーナーで見つけた。いつかの未来、てゅんの元に生まれてくるこどもが僕のように大のねこ好きになったらいいなとも思う。

実家から遠く離れて暮らすてゅんは、父親と兄弟のように仲がよかった。何の屈託もなくかかってくる電話や季節のたびに送られてくる果物は、僕の家族には何百年かかっても越えられない距離を一瞬の間で結ぶ魔法のようで、てゅんは帰りの電車で家族に対する呪詛のことばを吐き続ける僕を一度も否定したことはなかったけれど、その目はいつも悲しそうだった。僕には友だちがひとりもいないから、会社を辞めたてゅんと関係を続ける方法がわからない。今まで当たり前のようにいっしょに並んで帰った道は今や遠く隔たれて、人はこんなにも容易く交わい、離れてゆくから、ここからどうして手を伸ばせばてゅんに届くのかわからない。だけど。

僕が思わずてゅんのことを書いたのは、てゅんから2週間ぶりに「斉木楠雄を見たよ」とlineが来たからだ。教室ではしゃぐ小学生男子のような距離感のかけらもない内容に、さすがこどもの王様だと思った。とうにいい大人の僕たちが小学生みたいにげらげらと共に過ごし、共にはたらいた、あの日々はほかの誰ともぜったいに共有できなかったものだ。最終日てゅんからもらった包みには珈琲と眼鏡のシールが貼ってあって、僕はそれをていねいに剥がして、部屋のパソコンにぺたりと貼りつけた。てゅん、こないだマンションの隣の部屋に越してきた人はスーツを着たスネ夫みたいで、僕は心の中でスネちゃんって呼んでいる。くだらない、あんな話をこんな話を、これからも。願わくは思い浮かんだその瞬間に話せるように、僕たちの帰り道がずっとずっと交わったままでありますように。てゅんの前に続く道にたくさんのスターと1UPきのこがありますように。

かばんの中にはあの日渡せなかった「友だち証明書」が今もある。