mimiyori_mee

日々のこと

五月の物語

僕は物語の終わりや最終回が苦手だ。

5月、社会人になって迎えた初めてのGW、僕は名古屋にいた。知らない人間も多かったけど、何人かのなつかしい顔があり、伸びた茶髪やパーマ頭がそろって短い黒髪になっていたのが気恥ずかしかった。たった1ヶ月そこらの新人研修の愚痴を話す口調は学生時代のそれと何ひとつ変わらなくて、僕はアルコールが強くないから、名前の知らない甘い味のするビールを勧められるままに飲みながら、みんなの話を聞いていた。少し遅れて雄大がスーツ姿で来たので、いっしゅん冷やかすみたいな声が入口のほうで上がった。雄大は少しだけまわりを見回してから、僕たちを見つけてこっちへ来た。「仕事?」雄大が答えるまえに「おつかれさまっす!」ともう酔っぱらいはじめていた田中が陽気に絡んだ。預かろうと手をのばして受けとった鞄は思ったよりずいぶん重くて、僕はあわてて両手を出した。雄大は留年組の僕たちより1年早く就職していた。1日じゅうこの鞄を持ち歩くらしく、手のひらに豆ができると言って笑った。手にしたビールがもう何杯めなのかわからなくなったころ、遠くでこれから女の子たちが来ると幹事らしいグループが声を張り、喚声があがった。

女の子たちとの合流を避けるかのように、ネロが俺の部屋で飲もうと言い出した。雄大は明日も早いからと言って、顔の前で手のひらを立てた。昼間から飲んでいたので、外はまだ夕暮れだった。
気のせいか雄大は絢子さんのほうを見ていた。べろべろになった田中は絢子さんに自分のレコード一式を持たせていたので、僕はあわてて持つよと言った。気づいたときには雄大はタクシーを停めて、乗り込むところだった。まだ早いのにタクシーに乗るなんて大人だなとアルコールでぼんやりした頭で思った。僕はこのときの違和感を軽く受け流したことを何度も後悔することになる。雄大の鞄がひどく重かったこと、無表情で絢子さんを見ていたこと、僕たちがまだ学生気分で浮かれきっていたこと、明日も早いこと、タクシーに乗ったこと、そのタクシーが向かった先が雄大の家とは逆方向だったこと。

結局、物語の終わりは成長だったり別れだったりするけれど、その物語が始まるときにはなかったものがそこには存在していて、代わりに何かが、またはすべてが失われる。

僕はあれからだれとも連絡を取っていない。僕たちの物語は今でもまだ、あのうす紫ににじんだ十字路にある。

夜の会話

あきらめ、憎しみ、嫉妬、殺意、絶望、孤独、焦り、恐怖、不安、怒り、苦しみ。

たくさんのかなしいものが降りつもっていた。その上澄みで生きていた。せめて僕は、僕と話すことができたらいいのに。

これからもどうしても生きていかなくてはいけないのだとしたら、僕は毎日80円のコロッケを揚げて、ただ目の前のお客に食べてもらうような、そんな直接的な生き方がしたいと思った。そして、その80円のコロッケが見つからないことが僕には苦しいのだと思った。

世の中はこんなにも寄る辺ない人であふれているのに、
みな一様に、心には何も沈んでいないみたいな顔をして平然と生きている。

だれにも見せられないものを持ち寄って、
終わらない夜の会話がしたい。

Your message could not be delivered

見覚えのあるアドレスからメールが届いた。中身を見ないでごみ箱に捨てた。すぐに拒否設定した。中身を読んでいないこと、拒否設定をしたことが相手に通知されればいいのにと思った。

新年は平安神宮へ行った。
妹に安産のおまもりを買った。
何年かぶりに神様におねがいごとをした。
僕はいつでも他力本願で、このままきっと何十年でも、しにたいと思いながら生き続けるのだろうと思った。それは何かの刑のように思えた。

元旦は一年でいちばん醜悪な気分になる。
あの年以降、毎年おなじ光景を思い出す。あいつが僕を殴ろうとして、あわてて母が仲裁に入った。ストーブが倒れ、間抜けな音を立てた。僕はめまいを起こしながらあいつを罵った。あのときのあいつの顔はこどもを叱る父親のそれでは到底なく、あれは僕が生まれて初めて他人から向けられた剥き出しの憎悪だった。僕の目の裏側には、あのときのあいつの顔が今でも克明に貼りついている。憎しみとプライドに追いたてられるようにして、元旦から数週間で部屋を決めた。初めてのひとり暮らしで、荷物をまとめながら、僕はあいつに家族を奪われるのだと思った。それから何度も、家族を持つ資格について考えた。僕はぜったいに結婚をしないし、ましてやこどももぜったいに持たないと誓った。おまえは間違っていた、僕には分別があると示したかった。おまえに父親になる資格はなかった。人とまともに接することのできない、短絡的で狭く小さな自分の価値観だけがこの世でいちばん正しいと思い込んでいる、堅い殻にこもったおまえが、だれかの父親になるなんて、こどもを愛するなんて。人から愛されたことのないおまえが、覚悟もなくほとんど無条件に父親という立場に身を置いた、そのことをこの一生を懸けて憎むと決意した。

見覚えのあるアドレスはあいつのアドレスだった。あの元旦から初めて僕に連絡をしてきた。妹の結婚や妊娠で、まともな父親みたいな気持ちを擬似体験しているせいだと思った。僕に何かを伝えようとできた、その神経を思って、気がふれそうになった。開くまえに気がついた自分に本当に救われたと思った。こどもができたと言う妹を祝福できるようになったのはつい最近のことだった。独りがいいと思った。たとえ家族であっても、だれかと関われば、必ず心は乱れた。こころを平行に保つことの困難さに比べたら、さみしいとかはやわらかすぎる感情だった。僕のアドレスを教えたのは母親に違いなかった。逆なでしている。軽んじている。踏みにじっている。僕が渾身のちからで立て直そうとしているこの心の平行、それが毎日どれほどの僕をころしているのかを。苦しくて吐き気がした。大晦日に部屋をからっぽにして、ひつじの絵だけを残して、元旦の早朝に実家の玄関の前で血まみれになってしんでやりたいと思っていた。何日もその映像を思っていたのに、実行に移せなかった。もしそれができていたなら、思い知らせてやることができたのに、自分のいのちには本当に意味があったと思えたのに。何もできない自分に腹が立って、何度も踏みにじられ続ける自分の心に腹が立って、ただ涙がでた。

苦るしいのです

伊丹市立美術館の鴨居玲展へ。

鴨居玲を知ったのは数年前の神戸での美術館。

悪魔のような黒と赤の歪んだ顔、
第一印象は不吉なジョーカーだった。

額がなかったので、息を止めて、近づいた。脈打つ鼓動のように盛り上がった絵の具の凹凸に、はじめて絵に分厚さがあることを知り、じかんを忘れて見つめていたのを思いだす。当時、萩原朔太郎がすきで、何枚かの絵に月が描かれていたことも鴨居玲に惹かれたりゆうのひとつだった。

躍動していたり、苦悩していたり、人物は深くシャッターを切られたその一瞬、キャンバスに深い根をおろすかのように何層も何層も重ねられた背景の闇から浮かびたつ。異常なほどの分厚い色彩は確固たる強さとそれと同じ量の深い闇を感じさせた。

1枚の絵にかける時間は短かったとある。後半、未完の作品やデッサンなどの習作が並ぶ。描いたもの、描かなかったもの、描けなかったもの。傾けられた想像もつかない情念のようなものが絵の中に留まっていて、鴨居玲、彼の作品は、何かに取りつかれたかのように僕の心を動けなくする。

絵は、そのときの受け手の状態で受ける印象や見え方が変わる。神戸のときは赤と黒の歪んだ痩せた老人が目に焼きついて離れなかった。今回、僕がいちばん心を囚われたのは「マントの男」だった。鴨居玲が描くこんな色彩の絵をはじめて見たし、この絵の男の頭のかたちと閉じた瞳、結ばれたくちびる、そっと垂らされた腕。今の僕がほしいのは、この男のこの心境なのだと思った。ただ憧れるだけの僕を無言で拒絶するような、遠い何かとの決定的な隔たりを感じて、悲しみ、けど何かは浄化されたような、言葉では言い表せないいろんな気持ちが巻き起こった。まわりにだれもいなかったら、僕は一日中だって、この絵の前から離れられなかったと思う。

苦るしいのです 苦るしいのです

真っ白なキャンバスと自分から決して目をそらすことのなかった彼の一生に畏敬の念を抱く。

♪永遠の底/ACIDMAN

あほのせんぱいのこと

僕にはせんぱいがいる。

せんぱいは野心家で、じぶんが長いと思ったものにはくるんと巻かれる。せんぱいの裏表は透けて見えているのに、本人はそのことにまったく気づいていないので、僕は「裸の王様」に近い気持ちであほのせんぱいと呼んでいた。もちろん心の中で。

そのせんぱいが会社を辞める。せんぱいはプライドが高く、わからないことをわからないと言えない性格なので、知ったかぶりをすることが多かった。そのせいで下っ端の僕に来るしわ寄せは数かぎりなかったけど、それでもやっぱり、ほとんど毎日顔を合わせていたせんぱいがいなくなるのはさみしい気持ちがする。毎日接触する「会社の人」は僕にとってはほとんど人生の真ん中にあった。

せんぱいに誘われて昼ごはんを食べに行った。せんぱいはいつもチキン南蛮を食べた。辞めたあとのことはまだ決めてなくて、しばらくゆっくりすると言っていた。それから「おまえがうらやましいよ、やろうと思えば何でもできるのに」と言った。僕はそんなことないですよ、何もできないからここにいるんですよと言いたかったけど、せんぱいがこんなことを言うのは初めてだったので、何も言えなかった。しばらくして「おまえは覚悟がないだけだよ」と笑った。原色のカーディガンにスキニー、かりかりの身体に仕事中のおどろくほどやさしい声音、まぶたに浮かぶ顔は笑顔で、でもあと何ヵ月かしたらそれもぜんぶ薄まって、思い出せなくなる。せんぱいの目に僕はどう映っていたのだろう。仕事を辞めるのはせんぱいなのに、何かを失うのは僕のような気がしている。

おそ松さんを見ている。
最初はねこを抱いている紫がすきだったけど、最近はあほの黄色がすきだ。僕がすきになるものにはいつもどこかせつなみがある。おそ松さんのどこにせつなみがあるのかはわからないけれど、たぶんどこかにある。オープニングのおそ松たちの顔が割れて6つになるところはどきりとするし、黄色の子の笑顔には言い知れない狂気にちかい無邪気を感じる。せんぱいはおそ松で言うとサングラスのやつだなと思う。

このままずっと漠然と、おんなじ毎日を何日も何日もくりかえし生きていくしかないのだと思っていた。江國香織がたぶん、所有した時点で号泣する準備ができていると言っていた。僕は1か月先の準備も覚悟もなくて、それでも世界は「ずっとこのままではいられない」伏線で張りめぐらされていて、「そのとき」はこうして突然やってくるのだと思った。

♪I'm Jim Morison,I'm Dead/Mogwai

がしゃがしゃぴー

昨日は妹の誕生日だったので、数週間ぶりに連絡をとって、仕事終わりにごはんに誘った。待ち合わせ場所に着くと、恥ずかしそうに母親もいた。

普段はヒールばかり履いているのに、流行りだからか彼氏が自分より身長が低いからかスニーカーが欲しいと言っていたので、いろいろ探し歩いてミドル丈のPUMAのグレーのスウェードをプレゼントした。紐の色を変えたほうがよかったけど、時間がなかった。妹は思ったとおり、合わせる服がわからないと言ったので、きょうの服にも合うよと言った。妹はいつも決まった服の組み合わせしかしないので、そのつもりで選んだ。長いカーディガンにワンピース、無地のタイツに似合う靴。汚さないように履くと言って、妹がぺこんとお辞儀をした。
ごはんを食べているとき、妹が、こないだ結婚後の仮住まいの部屋を探していて、僕のマンションの前を通ったと言った。少しぎこちない話題の変えかただった。母親が何気ないふうにグラスの水を飲んだ。近くに新築のマンションができたみたいだから一度見てみたらと答えたら、妹が顔をあげて、もしも近くに決まったら、ごはんを作って持っていってあげると言った。きんぴらごぼう作れる?と聞いたら、それは無理とわらった。
駅までの道、妹はおそ松音頭を節をつけてそらで歌っていた。妹はこうして、小さいころの記憶も小中高のともだちも、少しだけ勤めて辞めた会社の元同僚でさえ、今までのぜんぶをぎっしりいっぱい抱えて今を生きていた。僕はおそ松音頭の歌詞どころか、今までの何ひとつ持ってこれなかったことを思ったけれど、なぜだか卑屈な気持ちは起こらなかった。妹のおそらく結婚式のために伸ばしているのだろう長くなった髪を見ながら、たぶんこのときはじめて、妹に心からしあわせになってほしいと思った。

夜中に妹からきょうはありがとうとlineが来た。ご近所になるのをたのしみにしてると返したら「ぜったい嫌がられると思ってたから、うれしい。ほんとにごはん作って持っていくから」と返信があった。でれでれした顔文字とくまがごはんを作っているスタンプがついていた。僕は口下手な妹のこの文面の率直さに少しおどろいて、いつの間にこんなことを言えるようになったのだろうと思った。そして、まだ僕に言えないでいる妹の奥底の気持ちと、それを言わせないでいるじぶんの狡さを思った。

ラジオを買った。
だれかの話し声が聞きたいと思った。置き型のラジオで、電池を入れたら、がしゃがしゃぴーと音がした。灯りのない部屋の中で、アンテナを立てて、音がよく聞こえる場所をぐるぐる探した。マンションがラジオの電波を遮ることをはじめて知った。チャンネルが合うたびに、うっすらといろんな人の話し声がして、姿を隠していたともだちを見つけたみたいな気分になった。

ラジオを消したら、元気そうで安心したと母親が言っていたのを思い出した。僕はまたひとりになった。

♪ミュージック/サカナクション

種まき

小鳥が僕の手の中でかりかりに痩せて、針と毛みたいになって、手にくちゃくちゃにくっついてこびりついて取れなくなる夢を見た。僕はじぶんを責めているし、誰かから責められてもいるのだと思った。

五階にある僕の部屋の向かいにはビジネスホテルと蕎麦屋があって、ビジネスホテルの看板の灯りは、引っ越してきたばかりのころは23時59分に消えたけれど、3年経った今は23時56分に消える。そのことに気づいたとき、僕はなぜか二度と取り戻せない、失ってゆくばかりの何かのことを思って、心が縮んだ。このことをずっと誰かに言いたかった。
土日は昼間でもしんとしていて、物音ひとつ聞こえない部屋の中でじっとしていると、生きていることは嘘のように思えてくる。もしも次に引っ越すことがあったら、遠くに高速道路の見える部屋がいいなと思う。

部屋には30号のひつじの絵とベッド、年中出しっぱなしの扇風機とストーブ、パソコンと読みかけの本が何冊かある。ほとんどの時間を眠るか本を読んで過ごす。前にゆかりが、情景をいちいち思い浮かべるのが面倒だから本は読まないと言っていて、僕は主人公だか場面だかをいちいち思い浮かべたことがなかったから、びっくりした。速読というわけではなく、僕はたぶん、言葉の音感や選ばれ方、一文の現れかたや着地点に集中していて、そこに映像はなかった。単に想像力が欠如しているのだと思うけれど、僕はいつも文字に埋め尽くされた白い紙の荒野にいて、この部屋に人が来ることはないし、もう実家の床や天井の色を思い出すこともできない。

今月下旬にずいぶん前に予約していたセーターが届く。つい最近まで2週間先の自分のことなんか想像もできなかったので、発送の連絡をぼんやりした気持ちで聞いていた。この間、クリニックの予約を入れた人間がじさつなんてしますか、というせりふを耳にしたけど、夏服を予約していようが、美容室の予約をしていようが、しぬと決めたら人はしぬんじゃないかなと思う。嘘にはりゆうがあるけれど、本当にはりゆうなんかない。

最近の篠原ともえがきれいだなと思う。

もうすぐセーターが届く。
ふゆがはじまる。

♪六階の少女/ZAZEN BOYS