mimiyori_mee

日々のこと

最恋の晩餐

それは銀色の硬い種だ。
細いどんぐりのような大きさで、直線の溝が数本走っている。鋼のようなチタンのような、僕はこの種の育て方を知らない。でもこの種が、何物にも換えがたい、大切な種であることを知っている。

彼が意識や自我、肉体について記述するとき、僕はたぶんその半分も理解できてはいないのだけれど、彼の選んだ言葉を、彼から生まれた文章を、何度も何度も染み込むように読み返す。もしもすべてを諳じることができたなら、彼の思考を共有できると信じているかのように。

この気持ちは何だろうと考えたら、たぶん恋に似ているんじゃないかと思った。どんなに願っても、どんなに思考を尽くしても、相手と同じ思いや考えを持つことは決して、できない。その絶対の距離と隔たりが、身を焼くように哀しい。それは相手が生きていてもしんでいても同じことだ。

狭い部屋、ガラス窓に映る姿はやせこけて。僕は何度も問いかける。彼の希いを、構想を、この先の未来を。僕は一日の大半をただ眠り、数冊しかない彼が書いた本を読んではぼんやりとなにかを思考して、知らないだれかの記憶のような目まぐるしい夢をみる。目が覚めると左の手首に何かで引っ掻いたような赤い傷ができていた。傷はアルファベットのSのようで、僕は記号をひとつ与えられたような気になった。なぜかこの傷が他の誰からも見えず、ずっと消えなかったらいいのにと思った。

もしも、僕の残りのいのちの最後の一日を除いて彼に手渡すことができたなら、彼はあといくつ物語を書けただろう。そうしたら僕は、残しておいた最期の一日に完成した物語を読み尽くして、またはたとえその途中でも、今よりは幾分豊かな身になって、黙って大地に還るのに。叶わない未来を重ねて、昼もなく夜もなく、きょうも終わらない頁を咀嚼する。