mimiyori_mee

日々のこと

ねじの人

彼の名は、たろうさんという。

苗字は「足立」だけれど、社内に足立がふたりいて、
どちらの足立も男性で課長でややこしいから
みんなからは下の名前で呼ばれている。

1年間の無職期間を経て、
わたしが入った会社はねじの商社で
「わたし」を知る人には到底信じられないことだと思うけれど、
毎朝7時に会社に行って、制服に着替えて、
夜は21時半まではたらいている。
残業代は出ない。
(はたらき方改革?で先月から残業代がつくようになったけれど、
個人的には残業代はいらないから
会社に還元されてほしいと思っている)

ビルはぼろぼろで、1階が倉庫になっていて、
千と千尋の釜爺のところみたいに
きしむ階段をのぼり下りした先に続く部屋には
天井まで続く壁いちめんの引き出しに
数えきれないくらいのねじが入っている。

油のにおいと作業着のおじいさんがたくさんいて、
なぜだか、二次面接で、この倉庫を見たときに心が決まった。

会社は今までわたしが属したどことも違う世界で、
仕事のやりかたもにんげんの種類も
毎日がカルチャーショックで
首長族の村に迷いこんだみたいだった。
入社初日から電話を100件取って、
ねじの型番はまったく聞き取れなくて
最初の3ヶ月は、人生でいちばんよく泣いた期間だったと思う。

わたしの指導係は2ヶ月後に辞めることが決まっている
ねじ道ひとすじベテランの主任さんだった。
同い年だったけれど、ねじについて知らないことはなくて、
手製のノートはいろんな切り抜きや書き込みでぱんぱんで、
マニュアルの1枚もないこの仕事のすべてを
高卒の女の子がひとりで学び、得てきた全部で、
工具屋さんから代理店さんまで、
取り次ぐ電話の半分は主任あてで
お客さんみんなが主任のことをあだ名で呼んで頼りにしていた。

主任は毒舌だったけど、どんなに忙しくても
なぜなぜ坊やのわたしの質問攻めを面倒がることは一度もなくて、
たぶんあの頃は家庭の事情で早く帰らなくてはいけなかったと思うのに、
「あねこのためやったら何時まででも残ったる」と笑ってくれた。

この人の元でもっとずっと前からはたらけていたら、
これまでの人生で何も積み上げてこなかったわたしが
この人の代わりにこの会社に入ったこと、
この人を失う会社の、ねじの未来を思って、
毎日何時間はたらいても全然時間が足りないと思った。
過ぎてゆく1日1日があまりにもったいなかった。

朝から夜までみんなが1日中はたらいても終わらない仕事量、
みんなが主任の大きすぎる穴を感じていて、
無駄な経歴ばかりのわたしがその代わりになれるはずもなくて
主任のお客さんをだれが引き継ぐのか、
重苦しい話し合いの中、
「おれやろか」
けろりと軽やかに言ったのが足立さんだった。

足立さんは課長で、初めてちゃんと話したのは
入社してほとんど1か月後のわたしの歓迎会のときだった。

中華屋さんの一室を貸しきって、
対角線上に座っていた足立さんがとつぜん
「おれあねこさんとしゃべりたい!」大きな声で言ったから
烏龍茶のコップを持っておじさんばっかりのテーブルに行った。

「あねこさんは主任みたいにならんでいいし、なる必要もないしな」

誰よりもいま、主任の存在の大きさを感じているはずの
足立さんがそう言ってくれたこと、
心の中がみるみるふくらんで、
わたしはもう無駄にこんなに年を取ってしまったし、
たぶんふつうの人とは少し違う厄介なにんげんだけど、
きっとぜったいわたしなりのやりかたで
足立さんにこの会社にご恩を返そうと思った。

わたしがこの会社に入って
もうすぐ8ヶ月になるけれど、
たろうさんのことはまだ「足立さん」と呼んでいる。