心が割れている
隣に住んでいる男は、スネ夫に似ている。
背が低くて、髪の毛が黒くてギザギザで、いつも暗いスーツを着ている。僕より少し年下かもしれない。じめっとして、おとなしい感じがする。時々エレベーターで一緒になるけれど、おたがいに顔も見ない。スネ夫は夜中になると酔っぱらう。金曜日とか土曜日に多い。
深夜、ベランダの外で物音がすると思って、テレビの音を小さくしてみると、スネ夫の部屋のほうから男の声が聞こえた。だれかと話をしているには大声だったので、そっと窓に近づいて耳を澄ませていると、声はなにかの歌で、その直後、下のほうでガラスが割れるような音がした。瓶、のようなものをベランダから投げたのだと思った。部屋は5階で、いっしゅんふざけているのかと思ったけれど、さっきまでの歌は止んで、隣からも下からも何も聞こえなくて、僕は息をとめて、そのまましばらく動けなかった。なぜだか、陽気だとかハイテンションだとかの「陽」の雰囲気はまったく感じられなくて、「静か」が僕の中で張りつめて、いま何か物音をだせば、次は僕にこの殺気が向けられる気がしていた。男が怒り狂って、僕の部屋のドアを乱暴に殴り、蹴る映像が頭に浮かんだ。どれくらい時間が経ったかわからないけれど、たぶん数秒、長くて数分後、きゅるるるる、男の部屋の窓があっさりと閉められる音がした。男の異様に高揚した歌声も、瓶が割れた音も、もしかしたら瓶が投げられたことさえ嘘のように、僕の外はしんと静かだった。
昼過ぎに目が覚めて、ベランダから下を見下ろしてみたけれど、すでに割れたガラスは片づけられた後なのか、地面には何もなかった。
復讐と報復について考えていた。
さいきん読んだ本と見たテレビで、ふたつは復讐が果たされ、ひとつは復讐を思いとどまった。物語的に、復讐が果たされたふたつは「どうして止めなかった」「ほかにいくらでも方法はあっただろう」と、復讐の背を押した人間が糾弾されていた。正義、倫理、法律、憎悪。人間の選択は善悪というよりも、その個人の思考の優先順位に左右される。一分の隙もなく復讐を断罪できるにんげんの心、思いを果たせずに生き続ける、その自分の生命の無為さを知っているにんげんの心を思って、だから、復讐の好機を前に思いとどまった伯爵のことをずっとずっと考えていた。どうして人の思いはいつまでも外から測ることができないのだろう。ゆかりから復讐が果たされたほうのテレビについて、結末に納得できないとラインがきて、僕は少しだけやさしい気持ちを思いだした。
それから何週間か経って、忘れたころにまた深夜、ベランダから瓶が割れる音が聞こえた。今度は立て続けに二本。エスカレートしていると思った。男の声は聞こえなかったけれど、動作が乱暴になっているのか、どしどしと歩く音や壁に身体をぶつけるような音が聞こえてきた。静かに窓のほうへ近寄ってみたけれど、反対側の部屋や向かいのビジネスホテルの部屋の窓はみんな寝ているのか暗いままで、僕だけが、この男の鬱憤を受け取っているのだと思った。下からも何も聞こえなかったので、下にいる人や猫が怪我をしなくてよかったと思った。
男はいつか人を目掛けて瓶を放るようになるだろうか。マンションの管理会社へ連絡しようか、ポストに「やめてください。今度やったら通報します」と書いたメモを入れようか。いや、そうじゃなくて、もっと男に直接的な制裁を与えたい。怒り、というか、僕は自分が被害を受けたわけでもないのに、仕返しをしてやりたい、許せない、奴は報復を受けるべきだと考えるようになっていた。
それ以降、男が瓶を投げることは(今のところ)なくなった。変化があったとすれば、あれから僕に、外からマンションへ帰ってきたときに5階を見上げる癖がついたことだ。瓶でもなんでも、僕は上から落ちてくる「それ」を静かに待ち受けて、男に取り返しのつかない何かを追わせたい。こうした僕の思考はなにを優先しているのだろう。
いま、仄白く光るこの画面の向こう側に、暗いこころがうずくまっているのが見える。