mimiyori_mee

日々のこと

七つの約束

こんなときに、

ヘルニアで3週間入院していた。

 

会社で急に立てなくなって、

激痛に息もできなくて

初めて救急車に乗せられた。

 

制服はしわくちゃで、

座薬はまったく効かなくて

汗となみだでぐしゃぐしゃで

何の準備も覚悟もないまま、

その日のうちに初めての入院生活が始まった。

 

おふろはもちろん、歯みがきすらできず

救急車で運ばれたときの化粧を落とせたのは

入院してから5日後のことだった。

 

痛み止めの眠気とめまいと、

薬が切れたときの激痛と

毎日あふれるみたいに届く

会社のみんなからのライン。

 

会社は相変わらずの忙しさだったらしいのに、

ネガティブな情報は一切届かず、

毛むくじゃらはどんなに忙しくても

情緒の不安定なわたしに1日も欠かさず、

朝と帰りにれんらくをくれた。

 

病院は完全面会禁止になって

わたしはベッドから1歩も動けず、

ただ完全に切り離された外側にいる

大事なみんなの命の心配だけがあって、

毎日みんなの無事だけを願った。

自分の痛みより

こんなにもつらいことがあることを

はじめて知った。

 

結局、運良く手術はまぬがれて

3度のブロック注射で

よちよちと歩けるまでに快復した。

 

今、人は試されているのかもしれなくて

何を守りたいと思うか、

そのためにどう行動するかに

すべてが懸かっているような気がする。

 

少なくともわたしは、

この3週間の入院ではじめて、

いつの間にかこの人生に

たいせつなものができていたことを知った。

守りたいと思うものがあって、

すこしの欲を持つようになった。

 

だから、みんながひとつでも多くのものを守って

未来にたどりつけるように

神さまのふるいに蓋をする。

四丁目の領分

伊達くんが引っ越しをした。

伊達くんが引っ越しをして、父親になった。

 

いつも何かがあったとき、

連絡をするのはわたしのほうで

たとえば、凶悪な事件が起こったとき、

小さな男の子に女性専用車両について尋ねられたとき、

人に言われた言葉の意味がよくわからなかったとき。

この世界で起きる出来事に答えを見つけられなかったとき、

即座にあたまに思い浮かぶのはいつも伊達くんのことだった。

伊達くんならどう思うだろう

伊達くんなら。

わたしの思考をトレースして、

だけどその上で、この世界の正解を示してくれるだろう。

いつもわたしは自分のことばかりで、

伊達くんは自分のしあわせさえ

こんなわたしに遠慮をして伝えられずにいたのに。

 

飲み会とかで

好きなタイプは?と聞かれたら、

いつもこう答えている。

ランチを頼んで、

わたしのほうのサラダに

小さな虫が入っていたときに

そっと自分のサラダと取り替えてくれる人。

今はまだ見つかっていないけど、

ましてこの話は、だれにも共感されたことがないけれど。

 

最後の記憶はCanteで、

伊達くんはまた水でいいとか言って、

あの日わたしはけっこんしてくださいと言おうと決めていたのに、

なぜかまったく真逆のことを言って別れたのだった。

伊達くんのためにも、わたしのためにも

その決断に後悔は欠片もなかったけれど、

その正しさがやっと証明された気がして、

生まれたてのやわらかであたたかなその生命を目にしたとき、

心がふるえるくらい、ほんとうにうれしかったんだ。

 

わたしは、あれからまだ

小さな虫の入ったサラダを何も言わずに

きれいに食べてしまえるような

世界に対して臆病なくらいに強くてやさしい人には

出会えていないけれど、


宇宙人は心のやさしい人間を不幸にしてしまうから、

どうか捕まらないように、

くれぐれも注意してほしいなとも思っている。

 

お祝いを言いたかったのに。

また自分のことばっかりだ。

 

伊達くん、おめでとう。

伊達くんの元に生まれてこれたしあわせでやさしい生命は

この複雑で攻撃的で不安だらけの世界でも

伊達くんのように力強く、

きれいであたたかなものたちを見つけだして、

ふかふかの人生を歩むよ

必ず。

 
静かな1年の終わり、
知らない街のそこにも四丁目があって、
こことうっすりとでも繋がっていたらいいなと思う。
 

ねじの人

彼の名は、たろうさんという。

苗字は「足立」だけれど、社内に足立がふたりいて、
どちらの足立も男性で課長でややこしいから
みんなからは下の名前で呼ばれている。

1年間の無職期間を経て、
わたしが入った会社はねじの商社で
「わたし」を知る人には到底信じられないことだと思うけれど、
毎朝7時に会社に行って、制服に着替えて、
夜は21時半まではたらいている。
残業代は出ない。
(はたらき方改革?で先月から残業代がつくようになったけれど、
個人的には残業代はいらないから
会社に還元されてほしいと思っている)

ビルはぼろぼろで、1階が倉庫になっていて、
千と千尋の釜爺のところみたいに
きしむ階段をのぼり下りした先に続く部屋には
天井まで続く壁いちめんの引き出しに
数えきれないくらいのねじが入っている。

油のにおいと作業着のおじいさんがたくさんいて、
なぜだか、二次面接で、この倉庫を見たときに心が決まった。

会社は今までわたしが属したどことも違う世界で、
仕事のやりかたもにんげんの種類も
毎日がカルチャーショックで
首長族の村に迷いこんだみたいだった。
入社初日から電話を100件取って、
ねじの型番はまったく聞き取れなくて
最初の3ヶ月は、人生でいちばんよく泣いた期間だったと思う。

わたしの指導係は2ヶ月後に辞めることが決まっている
ねじ道ひとすじベテランの主任さんだった。
同い年だったけれど、ねじについて知らないことはなくて、
手製のノートはいろんな切り抜きや書き込みでぱんぱんで、
マニュアルの1枚もないこの仕事のすべてを
高卒の女の子がひとりで学び、得てきた全部で、
工具屋さんから代理店さんまで、
取り次ぐ電話の半分は主任あてで
お客さんみんなが主任のことをあだ名で呼んで頼りにしていた。

主任は毒舌だったけど、どんなに忙しくても
なぜなぜ坊やのわたしの質問攻めを面倒がることは一度もなくて、
たぶんあの頃は家庭の事情で早く帰らなくてはいけなかったと思うのに、
「あねこのためやったら何時まででも残ったる」と笑ってくれた。

この人の元でもっとずっと前からはたらけていたら、
これまでの人生で何も積み上げてこなかったわたしが
この人の代わりにこの会社に入ったこと、
この人を失う会社の、ねじの未来を思って、
毎日何時間はたらいても全然時間が足りないと思った。
過ぎてゆく1日1日があまりにもったいなかった。

朝から夜までみんなが1日中はたらいても終わらない仕事量、
みんなが主任の大きすぎる穴を感じていて、
無駄な経歴ばかりのわたしがその代わりになれるはずもなくて
主任のお客さんをだれが引き継ぐのか、
重苦しい話し合いの中、
「おれやろか」
けろりと軽やかに言ったのが足立さんだった。

足立さんは課長で、初めてちゃんと話したのは
入社してほとんど1か月後のわたしの歓迎会のときだった。

中華屋さんの一室を貸しきって、
対角線上に座っていた足立さんがとつぜん
「おれあねこさんとしゃべりたい!」大きな声で言ったから
烏龍茶のコップを持っておじさんばっかりのテーブルに行った。

「あねこさんは主任みたいにならんでいいし、なる必要もないしな」

誰よりもいま、主任の存在の大きさを感じているはずの
足立さんがそう言ってくれたこと、
心の中がみるみるふくらんで、
わたしはもう無駄にこんなに年を取ってしまったし、
たぶんふつうの人とは少し違う厄介なにんげんだけど、
きっとぜったいわたしなりのやりかたで
足立さんにこの会社にご恩を返そうと思った。

わたしがこの会社に入って
もうすぐ8ヶ月になるけれど、
たろうさんのことはまだ「足立さん」と呼んでいる。

最恋の晩餐

それは銀色の硬い種だ。
細いどんぐりのような大きさで、直線の溝が数本走っている。鋼のようなチタンのような、僕はこの種の育て方を知らない。でもこの種が、何物にも換えがたい、大切な種であることを知っている。

彼が意識や自我、肉体について記述するとき、僕はたぶんその半分も理解できてはいないのだけれど、彼の選んだ言葉を、彼から生まれた文章を、何度も何度も染み込むように読み返す。もしもすべてを諳じることができたなら、彼の思考を共有できると信じているかのように。

この気持ちは何だろうと考えたら、たぶん恋に似ているんじゃないかと思った。どんなに願っても、どんなに思考を尽くしても、相手と同じ思いや考えを持つことは決して、できない。その絶対の距離と隔たりが、身を焼くように哀しい。それは相手が生きていてもしんでいても同じことだ。

狭い部屋、ガラス窓に映る姿はやせこけて。僕は何度も問いかける。彼の希いを、構想を、この先の未来を。僕は一日の大半をただ眠り、数冊しかない彼が書いた本を読んではぼんやりとなにかを思考して、知らないだれかの記憶のような目まぐるしい夢をみる。目が覚めると左の手首に何かで引っ掻いたような赤い傷ができていた。傷はアルファベットのSのようで、僕は記号をひとつ与えられたような気になった。なぜかこの傷が他の誰からも見えず、ずっと消えなかったらいいのにと思った。

もしも、僕の残りのいのちの最後の一日を除いて彼に手渡すことができたなら、彼はあといくつ物語を書けただろう。そうしたら僕は、残しておいた最期の一日に完成した物語を読み尽くして、またはたとえその途中でも、今よりは幾分豊かな身になって、黙って大地に還るのに。叶わない未来を重ねて、昼もなく夜もなく、きょうも終わらない頁を咀嚼する。

僕の芝生

彼女とは11時半に八幡市駅で待ち合わせた。

僕は待ち合わせや時間の約束が不得手だから、寝る前に駅の路線図や乗り換えの時間を調べていたら、なかなか寝つけず、結果相当な早起きをした。寒そうな格好をして相手に心配させるのは悪だと、たぶん萌絵ちゃんが言っていたから、めずらしくセーターを着た。乗り換えの間は5分しかなかったけど、途中でコーヒーを買った。急いでいたら電車の乗り場をまちがえて、ホームに下りたら乗るべき電車が向かいのホームから発車するところだった。予定より1本あとの電車に乗ることになったので、何分遅れるんだろうと遅刻の言い訳を考えてやきもきしていたのに、なぜか約束の20分前に着いた。いつもだいたいがこんな調子なので、僕の場合、待ち合わせの時刻に目的地にたどり着くなんてことは、ほとんど運と言ってよかった。
ひとりで着いた駅は音がなくて、人がいなくて、空が多く見えた。いつも僕たちがいる場所とは繋がっていないような気がして、彼女に「もう着いた。遅刻だよ」とメールを送ったら、すぐに「違います」とひとこと返信がきた。いつどんなときでも真面目な人だ。
ロープウェイだと思っていたものはケーブルカーで、ちょっと気落ちしたけれど、それで山の上までのぼった。山頂は細かく雨が降っていて、冷えた空気が氷のようで立っているだけで顔が痛かった。石畳を滑らないよう注意しながら歩いて、おみくじを引いて、熱いうどんを食べて帰った。端から見たらこれはれっきとしたお参りなのだろうけれど、神様はきっと僕のこころの内奥を見抜いていたに違いないと思う。

妹がニュースで御堂筋のライトアップを見ていたら、涙が出てきたと言っていた。妹は勤めていた頃、節約のため、毎日本町から難波まで御堂筋を歩いて通っていた。だれも知らない、どこか遠くへ、ひとりで行きたいと言った。ゆうじろうはもうすぐ2才になる。ボリュームの絞られたテレビから何度も繰り返し流れるミニオン、キッチンとリビングの間を全速力で永遠に行ったり来たりする足音、母親の一時のよそ見もゆるさない賢しい瞳。それ以来僕は、どこに出かけたとか何を食べたとか、そういった話は妹に一切しないようになった。僕は孤独で、他人からはさもじゆうに見えるだろう自分を強く恥じた。誰の人生も羨ましいとは思わない。ただ人は、その芝生からいっしょう逃れることができない、それだけで。

心が割れている

隣に住んでいる男は、スネ夫に似ている。

背が低くて、髪の毛が黒くてギザギザで、いつも暗いスーツを着ている。僕より少し年下かもしれない。じめっとして、おとなしい感じがする。時々エレベーターで一緒になるけれど、おたがいに顔も見ない。スネ夫は夜中になると酔っぱらう。金曜日とか土曜日に多い。
深夜、ベランダの外で物音がすると思って、テレビの音を小さくしてみると、スネ夫の部屋のほうから男の声が聞こえた。だれかと話をしているには大声だったので、そっと窓に近づいて耳を澄ませていると、声はなにかの歌で、その直後、下のほうでガラスが割れるような音がした。瓶、のようなものをベランダから投げたのだと思った。部屋は5階で、いっしゅんふざけているのかと思ったけれど、さっきまでの歌は止んで、隣からも下からも何も聞こえなくて、僕は息をとめて、そのまましばらく動けなかった。なぜだか、陽気だとかハイテンションだとかの「陽」の雰囲気はまったく感じられなくて、「静か」が僕の中で張りつめて、いま何か物音をだせば、次は僕にこの殺気が向けられる気がしていた。男が怒り狂って、僕の部屋のドアを乱暴に殴り、蹴る映像が頭に浮かんだ。どれくらい時間が経ったかわからないけれど、たぶん数秒、長くて数分後、きゅるるるる、男の部屋の窓があっさりと閉められる音がした。男の異様に高揚した歌声も、瓶が割れた音も、もしかしたら瓶が投げられたことさえ嘘のように、僕の外はしんと静かだった。
昼過ぎに目が覚めて、ベランダから下を見下ろしてみたけれど、すでに割れたガラスは片づけられた後なのか、地面には何もなかった。

復讐と報復について考えていた。
さいきん読んだ本と見たテレビで、ふたつは復讐が果たされ、ひとつは復讐を思いとどまった。物語的に、復讐が果たされたふたつは「どうして止めなかった」「ほかにいくらでも方法はあっただろう」と、復讐の背を押した人間が糾弾されていた。正義、倫理、法律、憎悪。人間の選択は善悪というよりも、その個人の思考の優先順位に左右される。一分の隙もなく復讐を断罪できるにんげんの心、思いを果たせずに生き続ける、その自分の生命の無為さを知っているにんげんの心を思って、だから、復讐の好機を前に思いとどまった伯爵のことをずっとずっと考えていた。どうして人の思いはいつまでも外から測ることができないのだろう。ゆかりから復讐が果たされたほうのテレビについて、結末に納得できないとラインがきて、僕は少しだけやさしい気持ちを思いだした。

それから何週間か経って、忘れたころにまた深夜、ベランダから瓶が割れる音が聞こえた。今度は立て続けに二本。エスカレートしていると思った。男の声は聞こえなかったけれど、動作が乱暴になっているのか、どしどしと歩く音や壁に身体をぶつけるような音が聞こえてきた。静かに窓のほうへ近寄ってみたけれど、反対側の部屋や向かいのビジネスホテルの部屋の窓はみんな寝ているのか暗いままで、僕だけが、この男の鬱憤を受け取っているのだと思った。下からも何も聞こえなかったので、下にいる人や猫が怪我をしなくてよかったと思った。

男はいつか人を目掛けて瓶を放るようになるだろうか。マンションの管理会社へ連絡しようか、ポストに「やめてください。今度やったら通報します」と書いたメモを入れようか。いや、そうじゃなくて、もっと男に直接的な制裁を与えたい。怒り、というか、僕は自分が被害を受けたわけでもないのに、仕返しをしてやりたい、許せない、奴は報復を受けるべきだと考えるようになっていた。

それ以降、男が瓶を投げることは(今のところ)なくなった。変化があったとすれば、あれから僕に、外からマンションへ帰ってきたときに5階を見上げる癖がついたことだ。瓶でもなんでも、僕は上から落ちてくる「それ」を静かに待ち受けて、男に取り返しのつかない何かを追わせたい。こうした僕の思考はなにを優先しているのだろう。

いま、仄白く光るこの画面の向こう側に、暗いこころがうずくまっているのが見える。

こどもの王様

てゅんはこどもの王様だ。

てゅんはゆかりの同期で、だから僕からすればせんぱいなのだけど、年が同じで、身長が僕の半分くらいしかなくて、アニメのどちらかというといじわるな脇役が大好きで、マリオのスニーカーを恥ずかしげもなく履いているのを見て、なかよくなってからはずっとこども扱いをしてきた。

そのてゅんが会社を辞めた。辞めると聞いてからも、最終日当日でさえも、てゅんがいなくなるということにぜんぜん実感が持てなかったのに、先週、てゅんとよくお昼を食べたベトナム料理屋でひとりでカレーを頼んだとき、向かいの席にいつも当然運ばれてくるはずのレタス蟹炒飯がいつまでも来なくて、僕はそのときになってやっと、とてもとてもさみしくなって、胸がつまった。

てゅんといっしょに働いたのは3年ほどだ。まだ配属されて間もなかった僕に、わからないことがあったら休みの日でも会社から連絡してこれるようにと携帯の連絡先を教えてくれた。極端に人数の少ない部署だったので、日々たくさんの理不尽が巻き起こり、てゅんは僕よりせんぱいだったから、矢面に立たされることも多く、こどもの王様には到底できないスーパーミラクル大人の役割を担わされた時期もあった。てゅんとは、佐倉の容赦ない口撃を互いに一切の防備を持たず、まともに喰らい続けてきた戦友の仲でもある。

最終日、いくつもの部署をまたいで、たくさんのお偉方に小さな背を折りたたみ、きちんと頭を下げるてゅんがいた。休みの人までが何人か会社に来て、てゅんを見送った。挨拶にまわるたびに送別の品を受けとって、その数の多さはてゅんの厚い人望のあらわれだった。
僕は送別の品に、フェルトで作られたわりとでかめの首から下げるねこのポシェットを贈った。ねこが大きらいなてゅんは(たとえねこが好きだったとしても)「ぜっったい使わないけど、ありがとう」と言って笑った。珈琲、AMラジオ、スヌーピー、北欧の食器、単線電車、研究所のパン、福岡の野球、てゅんの好きなものならいくつも思いつくけれど、もうこんなふうに毎日顔を合わせなくなるてゅんに、できることなら見るたびに僕のことを思い出してもらえる品がいいなと思って選んだ。それに、あのポシェットはこども用コーナーで見つけた。いつかの未来、てゅんの元に生まれてくるこどもが僕のように大のねこ好きになったらいいなとも思う。

実家から遠く離れて暮らすてゅんは、父親と兄弟のように仲がよかった。何の屈託もなくかかってくる電話や季節のたびに送られてくる果物は、僕の家族には何百年かかっても越えられない距離を一瞬の間で結ぶ魔法のようで、てゅんは帰りの電車で家族に対する呪詛のことばを吐き続ける僕を一度も否定したことはなかったけれど、その目はいつも悲しそうだった。僕には友だちがひとりもいないから、会社を辞めたてゅんと関係を続ける方法がわからない。今まで当たり前のようにいっしょに並んで帰った道は今や遠く隔たれて、人はこんなにも容易く交わい、離れてゆくから、ここからどうして手を伸ばせばてゅんに届くのかわからない。だけど。

僕が思わずてゅんのことを書いたのは、てゅんから2週間ぶりに「斉木楠雄を見たよ」とlineが来たからだ。教室ではしゃぐ小学生男子のような距離感のかけらもない内容に、さすがこどもの王様だと思った。とうにいい大人の僕たちが小学生みたいにげらげらと共に過ごし、共にはたらいた、あの日々はほかの誰ともぜったいに共有できなかったものだ。最終日てゅんからもらった包みには珈琲と眼鏡のシールが貼ってあって、僕はそれをていねいに剥がして、部屋のパソコンにぺたりと貼りつけた。てゅん、こないだマンションの隣の部屋に越してきた人はスーツを着たスネ夫みたいで、僕は心の中でスネちゃんって呼んでいる。くだらない、あんな話をこんな話を、これからも。願わくは思い浮かんだその瞬間に話せるように、僕たちの帰り道がずっとずっと交わったままでありますように。てゅんの前に続く道にたくさんのスターと1UPきのこがありますように。

かばんの中にはあの日渡せなかった「友だち証明書」が今もある。